2011/05

6月補正予算協議など

2011/05/31 火曜日 - 21:29:30 by ICHII

10時から総務委員会。
6月補正予算協議額について。

今回の6月補正予算7億6800万円の内、震災関連分が5億4100万円。
職員の派遣2億、物資の支援1億、被災者の受け入れ関連2億、防災の見直しや中小企業支援など3000万。

既に執行済みのものも多く、今議会の補正予算(7月1日に議決予定)で、っておかしくないかな?と思うところはあります。
宮古市でお会いした伊藤県議は、震災直後、岩手県議会として、専決処分での機動的な初動対応を、という判断をされたと話しておられました。
選挙があったとは言え、被災地支援や議会の役割・あり方など、考えさせられます。

震災関連分の財源は、4億が一般財源。
その内、例えば救援物資の輸送や職員の派遣など、災害救助法に基づいて、あるいは特別交付税措置により、実績を踏まえて後で国からお金が来ることになっているものがあるとのことです。

前回お願いしていた、岡山県の震災関連支援策の利用状況の報告もいただきました。
寝具や鍋・茶碗などの支給が21件申請、10万円(単身だと5万円)の生活一時金が24件申請、
中小企業者からの相談が51件、など。
やはり数字でいただくと、岡山県の支援のやり方について参考になります。

気仙沼の人たち

2011/05/26 木曜日 - 23:59:54 by ICHII

5時起きして、気仙沼へ。
改札で、内海太県議の笑顔が迎えてくれました。
「少しやせられたんじゃないですか?」
「5kgやせました。でも、毎朝6時から夜まで活動してて、元気だよ。」「親戚がね、友達もね、何人もまだ見つからないの。毎日、朝早ぁく、家内が起きる前に、気づかれないように泣いてるの。でも、外に出たら、ほら、こんな風に、元気だから。」

津波と地震(液状化も)、そして火災によって破壊された街。
新しく作っていた魚市場も(写真)。
でも、元の魚市場が6月中旬の再開に向け、準備をしていました。回りの加工場や製氷工場、店舗などでも、何とか再開しようと働いておられる方々の姿が見えました。

地元の内海さんに付いて、気仙沼の人たちの暮らしの中に入り込ませてもらいました。
二次避難所になっているホテルで、入居が始まっている仮設住宅で、まだまだ多くの方がおられる避難所で、一人も犠牲者を出さなかった南気仙沼小学校で、駅前の食堂で、たくさんの方にお会いし、お話しました。
困っていること、つらい気持ち、心配していること、分からないこと、どうしたらいいのか、問題が解決されない怒り、先行きの不安・・。
歩いているとあちこちから声がかかり、声をかけ、肩を抱き、相談を受ける内海さん。
「今日はなんと、岡山から仲間の県議が来てくれたんだよぉ。」
と紹介される度に、
「遠いところからわざわざねぇ。」「こんな話を聞いてくれてありがとうね。」
というあたたかい笑顔。
避難所のひと部屋で少しだけ皆さんに向かってお話した時に、思いがけずいただいた拍手。

駅前でお別れする時に、気仙沼湾の生わかめをいただきました。
「昨日、家内と買いに行ったの。ぜひ持って帰ってね。」
あの気仙沼湾の中で、奇跡的に残っていたわかめ。それがきちんと袋に入って売られ、岡山に届く。
どんなに困難でも、気仙沼は必ず復興するし、私たちにできることもあるはずだ。
胸の奥に、そんな確かな気持ちを感じながら、8時間かけて岡山に帰りました。

被災地フロントライン研修 2日目

2011/05/25 水曜日 - 22:14:03 by ICHII

宿は、陸中海岸国立公園内の浄土ヶ浜という美しいところにありました。

空も、光も海もきれいで、でも道やレストハウスは破壊され、白かった岩も黒っぽくなっています。
遊覧船も流されてしまった。

リアス式海岸は数多くの入江から成っていて、その一つ一つが被害を受けています。
被害も入江ごとに異なっている。山に遮られてお互いは見えない。
今後の復旧・復興も、何かあった時の対応も、小さな集落ごとにやらなければならないことがある。

高さ10m、二重になった日本一の防潮堤を整備していた田老地区。
防潮堤は「転んで」しまい、海辺の山肌に記録された昭和の津波よりも、明治の津波よりも、高い津波に襲われました。
マークされた位置の上方に、車が引っかかっていたそうです。

三陸鉄道の被害が最も甚大だった田野畑村島越地区。
線路や橋梁が、なぎ倒され、流されて、なくなるなんてことが、どうやって起きたのか・・。

家も、お店も、学校も、地区の人たちが土地を提供して作った駅も、何もかも、なくなってしまって。

宮古市内の、営業を再開したお店で昼食をとり、盛岡へ。新幹線で仙台まで戻りました。

岩手の人たちから言われたのは、岩手を知ってほしい、岩手に来てほしい、岩手の物を買ってほしい。それが応援だ、ということ。

明日は、気仙沼です。

被災地フロントライン研修 初日

2011/05/24 火曜日 - 22:00:17 by ICHII

朝、仙台を出て盛岡に向かう。東北自動車道の路面が一部、波打っていました。

盛岡駅前でレンタカーを返し、三陸鉄道の金子さんと合流。
ここから、三陸鉄道「被災地フロントライン研修」です。

きっかけは、壊滅的な被害を受けた三陸鉄道が、何か仕事を作ろう、被災地の役に立とう、という思いで研修を企画した、との報道を見たこと。
電話で問い合わせをしたところ、大変、前向きに対応していただきました。
いわゆる「視察」は迷惑なのではないか、ただ行っても意味がないのでは、と考えながら、現地に思いを馳せていたので、「ぜひお越しください。」という赤沼さんの言葉に、迷いを捨ててお願いしました。

ジャンボタクシーに乗り込み、準備していただいた資料や地図を受け取る。
作業の邪魔はしない、住民の感情に配慮する、といった注意を、自身も被災者である金子さんから聞く重み。

陸前高田市に向かいながら、被害の状況などをお聞きしました。
鉄道の被害はもちろん、金子さんは水産業についても詳しく、現地の状況の凄まじさが言葉の中から立ち上がってきます。

ずっと山間部を走り、陸前高田市に入ってからも、回りは山で・・と思っていたら、
急に、全く突然に、窓の外の風景が変わりました。
川を遡上した津波に破壊されたのです。
衝撃に、息をのんで見つめているうちに、市街地に入り。
言葉がありません。
何も、なんにも、ない。

涙しか出ませんでした。

続いて、大船渡市、釜石市、大槌町、山田町、そして宮古市へ。
大船渡では、NPOの岩城さんからお話を伺いました。
「ぜひ多くの方に経験を伝え、それぞれのまちで活かしてほしい。」
強い風の中、今は跡形もなくなってしまったJR大船渡駅前で、岩城さんがおっしゃったこと。

自治体により、地形や行政の取り組み方などに違いがあり、被災状況やまちの様子、作業の進み具合などが大きく異なっています。

宿に着いて、地元の伊藤勢至県議からお話を伺う。
たくさんの資料と、貴重なお話と、なんとお土産も!

宿は、当初は避難所になっており、今は全国の都道府県警察官や建設作業に従事する方などの宿舎でもありました。先日、一般宿泊の受け入れを始めたばかりとのこと。
支援への感謝の言葉が大きく掲示されたホールで、皆さんと一緒に食事(もちろんセルフサービス)をとり、22時消灯で、就寝。

宮城県山元町でボランティア活動

2011/05/23 月曜日 - 23:44:43 by ICHII

朝、仙台駅前のレンタカー屋さんが開くと同時に車を借り、山元町へ。

国道沿いはあまり目立つ被害は見えず、日常が戻っているようでしたが、
ご遺体の安置所の前を通った際には、心が痛み、安らかであることをお祈りしました。

役場に到着し、まず、災害ボランティアセンターで受け付け。

あちこちからボランティアが集まっていますが、宮城県内と千葉県からの方々と6名でチームを作り、Mさんのお宅の畑の泥かきに行くことになりました。
(各種の道具や軍手、マスクなども準備があり、しくみはできている感じです。)

役場からお宅に向かう途中から、被害の大きな地区に入り、何も言えなくなりました。
一面、ずーっと向こうまで、泥とがれき。ほとんど建物がない中に、駅の階段だけが立っていました。

6人で作業して、泥に覆われていた畑がほぼ元の色に戻りました。
植えられていたものはほとんど流され、塩も除かなければならないでしょうが、おうちの方が本当に本当に喜んでくださいました。
1本だけ残っていた細ーいアスパラ。生き残っていたよ!と見せてあげた時のMさんの歓声。

そして、Mさんやお隣の方、一緒にボランティアした方などから、たくさんのお話を聞きました。
それぞれの場所での、地震が起きた時、津波が来た時、その後のくらし、行政の対応、ライフライン、ボランティア・・。

役場に戻ったら、3月12日から山元町を支援していた自衛隊の部隊が撤収するということで、お見送りのセレモニーが行われました。
町長さんの挨拶、花束や手紙を送る町の人たち、手を振り、拍手をして「ありがとう!」「お世話になりました!」とたくさんの車を見送る顔、笑顔。
仙台へ帰る道でも、学校の前、家の前、人がたくさん出て、見送っておられました。

帰りはより海に近く高い東部道路を通り、沿岸部の被害状況を目にしました。

仙台に戻って、市議会議員や市職員の方からお話を伺う。
直接聞かなければ分からないことがたくさんありました。

夜の仙台は、たくさんの人がいて、にぎやかです。
でも、それぞれに大変な経験をされ、家族や友人にも色々なことが起きている。

明日から岩手です。

夏も学生インターンを受け入れます!/東北へ・・

2011/05/22 日曜日 - 23:09:50 by ICHII

今年の春から、学生インターンの受け入れを始めました。
夏休みの受け入れについて、ドット・ジェイピーのスタッフおおのくんと打ち合わせ。
おおのくんは、私の春のインターン生(つまり第1号)で、インターン・シップに参加する側から企画・運営する側になりました。春の経験が「スタッフをやってみよう!」という気持ちにつながったのだとしたら、うれしいな。

学生の皆さんへの動画メッセージをアップしているので、見てみてください!
いろいろ面白い経験をしてもらいたいと思っています。

終了後、一路、仙台へ。
4時過ぎに岡山を出て、仙台に夜10時過ぎに着きました。
仙台の駅前はびっくりするくらいフツーです。

明日は、宮城県沿岸部の一番南にある山元町で、ボランティア活動に参加します。

全国幹事長会議。仙谷官房副長官に提案。

2011/05/21 土曜日 - 23:22:33 by ICHII

今日は、民主党の全国幹事長・選挙責任者会議で、東京に行ってきました。

東京駅から、道路が大変な警戒態勢だなぁ、と思ったら、日中韓首脳会談があるからだそうです。
(さすがに民主党の会議の対策じゃないよね。)

メインテーマは、やはり統一自治体選挙の総括で、冒頭の幹事長挨拶も含めて、敗北を認め、都道府県連アンケートを踏まえた率直な敗因分析がありました。今後、日常的な取り組みを大事にしながら前に進んでいこう!と確認しました。

国会対策委員長や政策調査会長代理なども出席され、後半国会の課題や当面の政策課題についても説明がありました。

現下の最重要課題である東日本大震災については、政府から仙谷官房副長官(被災者生活支援特別対策本部長代理)が出席されました。
お話を聞きながら、これは意見を言わなくては!と思い、挙手して発言。
一つは、生活再建や事業再建のハンドブックが配布されたのですが、課題ごとのお問い合せ先が、各省庁や県、市町村窓口などあちこちになっていたので、「ワンストップ窓口が必要です!」
もう一つは、副長官が「被災した自治体の職員の手が足りない」とおっしゃっていたことについて、「被災していない自治体も、行革で人が減っているので、定年退職した職員の力を活用し、長期的に派遣する仕組みを!(自治体はお金もないので、お給料は国で!)」

かなり丁寧に答弁をいただきました。
ワンストップは「(これまでは色々な課題があったが)必要なことなので、取り組む!」
職員については、緊急雇用対策の活用を、とのことでしたので、会議の途中に説明ペーパーを書き、副長官が退席された際に会場の外へ出て・・エレベーター前で思い切って「直訴」しました。
立ち止まってペーパーを受け取り、ポイント(長期派遣、地財措置等)を聞いて下さいました。
提案したことが、少しでも被災された方々の役に立てばいいのですが・・。

特別委員会始まる。東京へ。

2011/05/20 金曜日 - 23:50:18 by ICHII

今日は「地域振興・観光・金融・雇用対策特別委員会」の1回目。
(しかし長い名前だ。)

初回なので、メンバー紹介や、この委員会が対象とする分野の県事業の説明に終始。

終了後、明日の民主党全国幹事長会議出席に向けて上京。
岡山駅前で、明日・明後日と行われる「がんばろう!東北ー東日本大震災復興支援観光物産展」の準備が進んでいました。
担当の県の方たちに「がんばってくださいね!」と挨拶して新幹線へ。

岡山でできる支援の大きな方法が、こういう物産の購入や東北への旅行だと思います。
皆さん、ぜひ、買いましょう!行きましょう!

総務委員会。ひさびさ。

2011/05/19 木曜日 - 21:55:00 by ICHII

今日は1回目の常任委員会。

今期、私は、総務委員会の委員となりました。
1期目の最初の2年も総務委員会だったので、ひさびさなのですが、出席されている執行部職員の多さに「そう言えばそうだった・・。」
本当に幅広い所管です。

非常に多くの協議・報告事項がありましたが、発言が集中したのは、やはり、東日本大震災への対応状況について。
岡山県の支援状況の報告があったのですが、様々な支援策を講じているのに、どのくらい利用されているのかが示されていないものがあったので、その状況について報告をお願いしました(次回いただけそうです)。

また、県が2つのプロジェクトチームと地震・津波対策専門委員会を設置して、防災対策の強化や震災の影響への対応、県が果たすべき役割などについて検討を進めることについて、
それぞれどういうスケジュールで進めるのか(いつまでに結論を得るのか)、
地震や津波以外の災害についての対応の検討はどうするのか、
支援体制等についても検証や改善が必要ではないか、
具体的な検討も重要だが、そもそもどういう考え方で防災に取り組むのか、
といったことを質問しました。

それぞれ、
年度内に地域防災計画を見直すのに向けて検討を進める、
ソフト面を中心に他災害についても検討結果がおよぶと考えている、
支援体制の課題は既に出てきており、国や、中国五県や中四国九県などでも担当者間の検討が行われると思う、
今回のような津波をハードで防ぐのは非現実的であり、避難対策などソフト面を中心としたものになっていく(専門委員会のメンバーもそういう視点で選定した)、
という答えでした。

まだスタートなので、今後、しっかり検討していかなければなりません!

議員の互助会への補助金

2011/05/17 火曜日 - 22:05:59 by ICHII

今日は第1回目の議会運営委員会でした。

私が生まれる前から長年にわたって積み上げられてきた、議会運営上の申し合わせがあります。
もちろん大切なことなのですが、今後、議会の改革に取り組む中で、見直したり議論したりすることも必要です。
そういうこともありますよね?という確認の発言をしました。

終了後、引き続いて、岡山県議会議員互助会の理事会。
議員が会費を出し合って、病気や事故、災害にあったときに見舞金を出したり、慶事の際には祝い金を出したり、という、いわゆる互助会です。

健康診断(人間ドック)費用の給付もあるのですが、ここに県からお金が出ています。
給付額の半分を会費で、半分を県費補助で、ということになっていて、昨年は64万弱の補助。
大きな額ではありませんが、県の職員の互助会への補助金は、2008年の財政構造改革の際に全額(当時、約2,200万)廃止していますし、
議員の互助会に税金を使うのはやめてもいいのではないか!と思い、問題提起したのですが、
取り上げていただけませんでした・・。

全国的にはどうなのかな?
もう少し調べてみようと思います。