気仙沼の人たち

2011 年 5 月 26 日 - 11:59 PM by ICHII

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気仙沼の人たちいっちょの道

5時起きして、気仙沼へ。
改札で、内海太県議の笑顔が迎えてくれました。
「少しやせられたんじゃないですか?」
「5kgやせました。でも、毎朝6時から夜まで活動してて、元気だよ。」「親戚がね、友達もね、何人もまだ見つからないの。毎日、朝早ぁく、家内が起きる前に、気づかれないように泣いてるの。でも、外に出たら、ほら、こんな風に、元気だから。」

津波と地震(液状化も)、そして火災によって破壊された街。
新しく作っていた魚市場も(写真)。
でも、元の魚市場が6月中旬の再開に向け、準備をしていました。回りの加工場や製氷工場、店舗などでも、何とか再開しようと働いておられる方々の姿が見えました。

地元の内海さんに付いて、気仙沼の人たちの暮らしの中に入り込ませてもらいました。
二次避難所になっているホテルで、入居が始まっている仮設住宅で、まだまだ多くの方がおられる避難所で、一人も犠牲者を出さなかった南気仙沼小学校で、駅前の食堂で、たくさんの方にお会いし、お話しました。
困っていること、つらい気持ち、心配していること、分からないこと、どうしたらいいのか、問題が解決されない怒り、先行きの不安・・。
歩いているとあちこちから声がかかり、声をかけ、肩を抱き、相談を受ける内海さん。
「今日はなんと、岡山から仲間の県議が来てくれたんだよぉ。」
と紹介される度に、
「遠いところからわざわざねぇ。」「こんな話を聞いてくれてありがとうね。」
というあたたかい笑顔。
避難所のひと部屋で少しだけ皆さんに向かってお話した時に、思いがけずいただいた拍手。

駅前でお別れする時に、気仙沼湾の生わかめをいただきました。
「昨日、家内と買いに行ったの。ぜひ持って帰ってね。」
あの気仙沼湾の中で、奇跡的に残っていたわかめ。それがきちんと袋に入って売られ、岡山に届く。
どんなに困難でも、気仙沼は必ず復興するし、私たちにできることもあるはずだ。
胸の奥に、そんな確かな気持ちを感じながら、8時間かけて岡山に帰りました。

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