- 後輩秘書Tくん
- 大学生Sくん
- 高校時代の同級生Yさん
- 木口京子さん
- 小中学校時代の友人S.Oさん
- 高校の同級生Aさん
- 高校同級生よしちゃんの旦那さん
- 大学時代の友、女性、37歳
- 高校・大学の同級生のF女さん
- おかやまJAZZフェスティバル別働隊の前田浩邦さん
後輩秘書Tくん
津村事務所の先輩としての一井さんと、私は出会いました。
他の秘書さんから聞いていたとおり、一井さんは「いつも笑顔」でした。
変わることのない笑顔を見ていると、私も安心して仕事に取り組めます。
なにより、希望を持つことができます。
みんなが希望を持って生きていける社会、
そんな社会を目指した行動を誰が先導できるだろうか。
周囲の人に希望を与えつづけることができる一井さんこそ、
その役割にふさわしいと確信しています。
大学生Sくん
去年の4月に津村事務所に行った時に、たまたまお会いしたのが始まりです。その後は音信不通ながら、12月に出馬を知ってメールをしたら、「手伝ってね〜」とお誘いを受け、ちょくちょく手伝っています。ですから1年弱(実際はそれ以下)のつきあいです。
個人的に選挙好きということもあり、津村事務所に行ってみました。その時に一井さんがいました。初めてお会いした時には、政治などのいろんな話を明るく話してくださったのをとても覚えています。その時は名前も知らず、「津村議員の秘書さん」というかんじでしたが…。12月に名前を知って、「覚えているかな〜」と思いながらメールをしたら、しっかり覚えてくださっていたので、とても感激でした。うれしかったです。
ここ最近お手伝いをしていて、感じるのは「切り替え」というのがしっかりしていること。普段は気さくに話したりしていますが、要望を聞いたりする時や会議の時の目は真剣そのものです。話しかけるのも躊躇してしまいます。「この親しみやすさと真剣さが一井さんの信頼感につながるんだなぁ〜」と思います。
「こんなことを思うのも、一井さんのお手伝いをしているのも、私が4月に津村事務所に行って、そこに一井さんがいて、一井さんが出馬を決意してなければなかったかもしれないなぁ、」とこの文を書きながら感慨深く思いました。
今後は一井さんが座っている県議会を傍聴するのを目標に、微力ながら赤いパーカーを着てお手伝いしたいと思います。ファイト!!!
高校時代の同級生Yさん
一井さんのことを覚えていない同級生は、まずいないでしょう。
4年生(広大附属福山では高1を4年と呼ぶ)で颯爽と入学してきた彼女の抜群の頭のよさと、ひとなつっこい笑顔は、天下逸品。私は高校3年間同じクラスになったことは残念ながらありませんが、岡山方面からの通学チームの一員として、わいわいたのしく通いました。
電車の中でさりげなく読んでる本は、私の聞いたこともないような作家もの。平平凡凡の一高校生の目に映る一井ちゃんは「2、3歩先」の「ムズカシソウ」な世界を、時折愁いているような「オトナ」な高校生でした。
一井ちゃんとは、社会人になってからのほうが、もっと仲良くなれたような気がしています。楽しい嬉しいばっかりの学生時代には理解の及ばなかった一井ちゃんの豊かな知識と、考えの深さ、暖かさに、何度救われ、励まされ、勇気づけられたことでしょう。
二人とも岡山に戻ってからは、環境問題から芸術活動まで、幅広く活躍する一井ちゃんに会って、一緒にご飯を食べながらおしゃべりするのがすごく楽しみでした。世界をぐ〜んと広げてもらえるからです。
そんな一井ちゃんがやっと、やっと出馬!!こんなうれしいNEWSはありません!!
今こそ時代が一井ちゃんを必要としている!
立春大吉!!
2007年は一井ちゃんの応援からはじまります。
木口京子さん
一井あきこさん、
私が初めてお会いしたのは、もう10年以上前。勢いよく岡山に帰ったにもかかわらず、右も左もわからず、かなり突っ張っていた20代のころでした。
岡山市内のホテルのカフェで会ったあきこさんは、静かに淡々と、まっすぐな口調でお話されたことを覚えています。それから折にふれ、お茶をしながら、お酒を飲みながら、政治のこと、環境のこと、音楽や演劇やお笑いのこと、ファッションのこと、将来のこと、恋のこと・・・いろんな話をしました。
古典的なことから流行りものの最先端まで、幅広い知識と意見を持つことに感心し、ある時、あなたの本棚にある多種多様な分野にわたる大量の本を見て、納得したこともあります。
1997年に京都で開催された地球温暖化防止京都会議の時には、多くの仲間達と一緒に岡山でのPR活動を準備されました。私も引っ張っていただきながら、一緒に展示会をしたり、日生から赤穂迄の自転車リレーに参加したりしましたね。あの時は本当にありがとう。
あなたが求めていたもの、今も求め続けているものは、新しい芽ばえ。
あなたが持ち続けているものは、戦後60年の間に固定化され閉ざされてきた社会の中で、希望や夢を持つために必要な明るさや、光や、笑いをいっぱい生み出したいという思い。
突っ張って、尖っていた20代の女性も、ふくよかな感性としなやかな強さを持つ魅力的な女性になりました。準備も武器も調いました。いよいよ始まりの時なのですね。
小中学校時代の友人S.Oさん
いっちょとは小、中学校を通して、今でもお付き合いがあります。
小学生のころには、「将来、女性代議士になりたい」という夢を持っていました。
私には言葉の意味がわからず、いったいどんなものになりたいのか想像できませんでした。
それから月日が過ぎて、いっちょもいろいろな経験を積み、今その夢の実現に向けて頑張っています。
私も今では「女性代議士」の言葉の意味がわかりましたが、これからを担う女性の代表として柔軟に、そして力強く、政治の世界で活躍してもらいたいと思います。
それがきっとできる人だと信じてます!
道のりは厳しいと思うけど、いっちょなら大丈夫。
応援していますよ。
いっちょからの一言
小学生の時に「女性代議士」なんて言ってたとは・・。実は自分では覚えていないのです。恥ずかしいコドモですね・・。
高校の同級生Aさん
高校からの付き合いです。
ですから一井あきこさんをひと言では表現できません・・・
つい最近、私の父が他界した折のこと。
父の近親者は私のみで、それも母との離婚でかなり昔に籍を違えており、年に一度会うかどうかの間柄でした。
葬儀のあと、私は父の利害関係者と向き合うことになり、早々に相続を放棄したのでした。
にも関わらずその後もかかってくる電話に脅えきって被害者意識の塊となり、一井さんにそれはもう煩くメールや電話をして・・
しかし彼女は議員秘書という超多忙な職務の中、私の要領を得ない話に耳を傾けてくれました。
そんなことが続いたある日、一井さんが言いました。
「Tちゃん(私です)がお父さんの唯一の親族なんだから、××さん(利害関係者)が先ずTちゃんに連絡をとるのは当然だと思うよ。法的にどうとかいう前に人道的に××さんの立場になって考えてごらんよ。」
あ、そうかも・・・・
そして一貫して「Tちゃんはどうしたいの?」と私の意向を訊いてくれていたにも関わらず、今思えばそれを無視して「私は何にもしたくないけど、何とかしてよ!」と言っていたに等しい。懺悔・・・
東京と岡山の距離はありましたが、一井さんの言葉で少しずつ正気を取り戻したわけです。
感謝!
一井さんはきっと「あなたはどうしたい?」と岡山県民にも問いかけてくれると思います。
高校同級生よしちゃんの旦那さん
一井さんといって最初に思いつくことは”知性”、次は努力をおしまず、自分の愛する人、事に情熱を注ぐことを惜しまない人であることです。
いままでの活動をみれば分かることですが、一言で言うと本当に頭がいい!知識、知恵の範囲と深さがはかりきれず、話しているといろいろな気づきを与えてくれます。「あ、な〜るほど、こんな考え方ものの見方があるのか〜」と納得させられることが多いのです。
ですが、ただの知性派の人でないのが一井さんです。
努力家、情熱家なのです。地元をこよなく愛し、岡山の人や文化や、過去、未来を愛している人です。
文化的活動も努力と情熱を注ぎいれ、一井さんが関わった文化的展示や美術館にも行ってみましたが、ただ机上の空論でなく実現に努力をおしまないその姿勢に感動しました。
自分の身を犠牲にしてでも、努力して力を尽くす人、たぶん一井さんは岡山を愛する愛の人なのでしょう。
今までの活動は個人レベルをこえて、岡山の文化、元気、環境につくしてこられました。やっと県議に立候補してくれたのかと、ほっと胸をなでおろしている今です。今後の彼女にいっそうの舞台が与えられて、その力を発揮してくれることを願っております。
大学時代の友、女性、37歳
今思えば「怖い物知らず」の学生時代、一緒にラクロスの同好会で活動していましたが、
世界を語るときも、ふだんの生活のことを話すときも、いつも一番弱い人のことを心に置いていたのがいちいでした。
そうかと思うと、いろんなアイデアを持ち出して、周囲を驚かせたり、楽しませたり・・・。
そんないちいの持ち味が存分に引き出される場所で活躍することを祈っています。
高校・大学の同級生のF女さん
いちい(高校大学時代からの愛称)が岡山県議に立候補すると電話してきたとき、とても嬉しくなりました。
とんでもなく聡明でしかも勤勉な、私の自慢の友人が、その才能を、自分の富や財産を築くことでなく世のため人のためふるさとのために使う生き方を選んだのです。
いちいは頭は良いけれど情の深い人間です。
きっと悪いことは厳しく改善しながらも岡山の大切なものを優しく育み守ってくれるでしょう。
頑張れ、いちい。
おかやまJAZZフェスティバル別働隊の前田浩邦さん
一生懸命人の言う事を聞いてそれに答えようと駆け回っていた、って感じでしょうか。
「この件ならあの人、その件ならこの人という感じで調整するのがうまい人だなぁ」
という印象がありました。
小さな身体の何処にそんなパワーがあるのだろう?
と感心しておりましたが、事務所のソファーで眠ってしまったのを見て「あぁ、この人も人間だったんだ」と安心しましたね。
で、「そんな姿は見られたくない、私だって年頃の乙女〜」と言っていたのが微笑ましい。
津村さんの事とか、聞いてはいましたがよもや一井さんがね!
驚きましたが、OJFの時に感じた印象から考えればさもありなん。
御身体には十分気をつけてくださいな。